看護師2.0。看護師の認識をアップデートした話。
「お前は看護師をしたいのか?
俺にはそうは見えなかったよ。
看護師を手段にしろ。
看護師が目的じゃないだろう。
優しくなりたいって言ってたろ。
看護師のとらえ方を考えると
見えてくる世界があるよ」
尊敬している人にそう言われた。
もう暗くなった喫煙所。
指先から一筋の煙が空に消えていく。
なんとなく意味がわかったのはそれからしばらく時間が経ってからだ。
看護師2.0。看護師の認識をアップデートした話。
多くの看護師は「看護師として働くこと」を目的にしていると思っている。
自分を看護師の枠にはめ込んでその形に自分を切っている印象だ。
看護師に適した自分自身を作っていく。
看護師の中に自分がいる感じかな。
自分の中に看護師がある感覚になりたいなって思う。
抽象的な話になって上手に書けない。
実際、それどうなんだろうって思う。
先輩に言われ通りだよなって思った。
俺は看護師を「自分自身を他者に表現するための手段」だと思っている。
では考えてみよう。
「看護師」ってなんだ?
そもそもな。
wikipedia先生は語る。
看護(かんご、英: Nursing)は、個人や家族、地域社会が最大限の健康を取り戻し、できる限り質の高い生活ができることを目的とした支援的活動である。職業人である看護師の行う実践を指す場合が多いが、患者の家族などが病気や障害などを理由に生活上の困難を抱えている患者などに対して日常生活における世話や情緒的に支えることなどを含むこともある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%8B%E8%AD%B7
くっそ難しいこと言うなア。
自分の中で看護師の種類は大きく2つに別れると思っている。
看護師の種類。
「治る」ことを手伝う看護師。
「生活する」ことを手伝う看護師。
「治る」ことを手伝う看護師。
これは世間の看護師のイメージだと思ってる。
病気になったら入院して点滴をしたり内服をしたり手術をしたりしますよね。
先生の指示の元でそれを手伝うのも看護師の仕事のひとつです。
「治る」に関しては特に急性期に言えることだと思う。
「生活する」ことを手伝う看護師。
これは医療に携わっていない人はいまいちピンと来ないかもしれない。
看護師を含む医療者の仕事の1つに「地域で生活すること」を支援するというものがある。
若く病を抱えていない人にはあまり関係がないかもしれない。
しかし、現在の日本は高齢化が進んでいる。
当たり前だけど、高齢者は多くの疾患を抱え、身体的機能の低下を有する。
その人たちが自宅で、地域で生活することを支援することも看護師の仕事であると考えている。
なんだか難しいわね。
普段はこんな真面目なこと言わんからなア。
▽過去記事
こんなことをしていても看護師です。
白衣脱いだら関係ないもん。
そんな看護師がいてもいいじゃん。
「 治ること」と「生活する」こと
どちらも相互的な関係だけど、治療には段階がある。
病院であれば病棟を急性期や慢性期などでわけてあるのはそのためだ。
もちろんどの段階でも両者は必要な視点だと思う。
「自分の人生を自分らしく生きる」
そのためには必要だよね。
病気があったら自分のしたいことできないもん。
どちらも大切にしたいなって思っている。
できていないことたくさんあって落ち込むけど。
また初めに戻ってくる。
看護師という仕事に対する認識の話。
俺は「看護師を手段」だと思ってる。
人に優しくするための視点を持ち、支えるための手段だ。
言い換えれば自分自身を他者に表現するための手段だ。
業務じゃなくて看護がしたいよね。
その看護を「手段」だと認識したうえで俺自身の感性に「価値」を感じて喜んでもらえたら嬉しいな。
うーん。
抽象的すぎて上手に書けなかった。笑
だけどこれはすごく大事にしてる感覚なので今後もっと掘り下げていくつもりです。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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▽過去記事