ファーストキスはベロチュウだった話。
皆さんのいちばん古い記憶はなんですか??
小学生くらいかな?
それよりもっと前の話かな?
俺はたぶんだけど小学1年生の時だと思う。
ファーストキスはベロチュウだった話。
- うちの両親は離婚をしている。
- 記憶の中のお母さんはいつも泣いていた。
- 「目ヤニがひどくて目が開けられないの」
- お袋の友達との話し声が聞こえる。
- 春の晴れた日にお袋はうちを出て行った。
- なりたい俺の話。
- 何度目かの自己紹介。
うちの両親は離婚をしている。
今思い出しても円満な別れだとは言えなかったと思う。
お袋のことを思い出すと親父と喧嘩をして泣いている姿ばかりが浮かぶ。
あれって喧嘩だったのかな。
喧嘩っていう対等な感情のぶつかり合いじゃなくて親父に一方的に攻められていたのかもしれない。
親父に失礼だし自分の幼いころの記憶なんて不確かだけど。
そういえば離婚の直前に親父は大きな花をお袋に贈っていたっけ。
今なら思うけどその段階でその行動は無意味じゃないかなって大人になって思う。
記憶の中のお母さんはいつも泣いていた。
お袋は不遇な人だったようだ。
両親が火災で亡くなり、引き取られた親戚の家では疎まれていた。
小さいころにその親戚の家に遊びに行ったことがある。
俺からするとおばあちゃんか?
お袋を育てた人かなんかよくわからないけど。
リビングで煙草をふかしながら声を掛けるでもなくこっちを見ていたのを覚えている。
あそこ、嫌な雰囲気があったな。
思い出してもなんだかいやだ。
そういえば、焼けた自宅から出てきた小銭を見せてもらったっけ。
お袋はきっとメンタルを病んでいたと思う。
心療科を受診をすれば診断名がついていたんじゃないかな。
「目ヤニがひどくて目が開けられないの」
小学生になっていたのか。
なっていなかったのか。
お袋の友達との話し声が聞こえる。
当時はきっと意味はわからなかったんだろう。
それでも、今こうやって嫌な記憶として残っているということは幼いながらに思うところがあったんだろうなと思う。
離婚って案外簡単にできるんだね。
春の晴れた日にお袋はうちを出て行った。
うちは実家だから俺のじいちゃん、ばあちゃんもいた。
いわゆる3世帯住宅だ。
あ、ちがう。
当時はひいおばあちゃんも生きていたから4世帯だ。
嫁で田舎に来るとその辺もしんどかったのかな。
ちなみに3組に1組の夫婦は離婚するらしい。
看護師の国家試験を受けた時に国民衛生の動向に載ってた。
なんとなく救われた気がした。
お袋がうちを出ていくほんの少し前の話。
一緒にうちを出るか、それとも実家に残るかを聞かれた。
お袋の口から。直接。
俺がなんて答えたのかはもう覚えてない。
お袋は独りでうちを出て行った。
お袋と一緒にうちを出るかを訊かれた夜。
キスされた。
いとおしむように優しく。
親子のコミュニケーションとして。
ベロチューで返して怒られた。
いや俺、当時小学1年生な?
許してくれよマイマザー。
俺のファーストキスだぜ?
え、マジか。
あれ、ファーストキスやんけ。
そんなんシンプルに落ち込むやん。
なえぴよ~。
閑話休題。
なりたい俺の話。
両親の離婚がどんな影響を与えているかはわからないけどなりたい自分がある。
優しい人になりたい。
それってなんでかなって考えることが多かったんだよね。
尊敬する人に自分の感情に疑問を投げかけて掘り下げろって言われて。
そんな中で、自分なりにひとつの答えが出たんだよね。
お母さんに優しくしたかった。
大丈夫だよ。
ひとりじゃないよ。
頑張ってるの知ってるよ。
大好きだよ
そう声を掛けたかったんじゃないかな。
後付けの感覚かもしれないけど。
ああ、それかこうだな。
当時の小学生の俺にこう伝えたかったのかもしれない。
大丈夫だよ。
案外なんとかなってる。
だから、言いたいことを言いな?
まだ上手に言葉にできないんだけど自分のことも相手のことも否定しないようになりたいのかなって思ってる。
そんなことを思う今日このごろです。
なにも落ちがない記事でした。
こんな感じの中の人です。
タイトルとの落差がすごくてごめんね。
何度目かの自己紹介。
本読んで映画観てお茶淹れて珈琲沸かしてバイク乗って写真撮ってサカナとトカゲとクモと同居して趣味で看護師をしてる人。かっこよくて優しい人になりたい。
出会い系で出会ったホ別3万円の女の子と同居したりストッキングを破って生活をしていました。
趣味で看護師もしています。